特別永住者

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特別永住者(とくべつえいじゅうしゃ)とは、平成3年(1991年11月1日に施行された日本法律「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(平成3年法律第71号。略称・入管特例法)により定められた在留の資格のこと、または当該資格を有する者をいう。米国戦艦ミズーリ艦上での日本の降伏文書調印日(昭和20年(1945年9月2日)以前から引き続き日本(いわゆる内地に限る)に居住している平和条約国籍離脱者朝鮮人韓国人)及び台湾人)とその子孫を対象としている。

第二次世界大戦によって大日本帝国が解体されると、その版図に含まれていた朝鮮連合国に分割占領され後に、韓国北朝鮮として独立し、台湾は中華民国に併合された。その住民も日本国籍を喪失した。このうち、日本在住の両地域出身者に対する救済措置として、日本政府は特別永住者として他の外国人と区別した扱いを認めた。慣例的に特別永住権と呼ばれることがあるが法的に権利では無い。

平成20年(2008年)の特別永住者の実数は、前年より9924人減少し42万305人である[1]。日本国に存在する約222万人の外国人の中で約19%を占めるが、その割合は年々低下している。近畿地方に約半数が集中する。(詳細は以下を参照)

目次

歴史

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入管特例法以前に存在した類似の制度があった。詳細は以下のとおりである。

特別永住者制度前史
外国人登録の表記 制度開始日 申請期限 適用終了日 根拠法令 摘要
4-1-14 1951年11月1日
(1952年4月28日)
任意 1990年5月31日 出入国管理令(昭和26年政令第319号)第4条第1項第14号
(1982年以降の題名は出入国管理及び難民認定法。以下同じ)
(一般永住許可)
(1982年1月1日) 1986年12月31日
(一部例外あり)
出入国管理及び難民認定法附則第7項 特例永住許可
法126-2-6 1952年4月28日 自動適用 1991年10月31日 ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係
諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第126号)第2条第6項
1945年9月2日以前から日本に在留
する者
その子で1952年4月28日午後10時半
前までに日本で出生し在留する者
4-1-16-2 出生の日から30日以内
要期間更新
1990年5月31日 出入国管理令第4条第1項第16号
特定の在留資格及びその在留期間を定める省令(昭和27年外務
省令第14号)第1項第2号(1981年末まで)
出入国管理令施行規則(昭和56年法務省令第54号)第2条第2号
(1982年以降)
上欄該当者の子
在留期間3年(更新手数料無料)
1982年に旧4-1-16-4を統合
(不詳) 1953年12月25日 自動適用 1991年10月31日 奄美群島の復帰に伴う法務省関係法令の適用の経過措置等に
関する政令(昭和28年政令第404号)第14条第2項
(1982年以降は第14条)
1945年9月2日以前から奄美群島に
在留する者
その子で1953年12月25日午前0時前
までに奄美群島で出生し在留する者
4-1-16-4 出生の日から30日以内
要期間更新
1981年12月31日 出入国管理令第4条第1項第16号
特定の在留資格及びその在留期間を定める省令第1項第4号
上欄該当者の子
在留期間3年(更新手数料無料)
廃止時4-1-16-2に統合
協定永住 1966年1月17日 1971年1月16日
(一部例外あり)
1991年10月31日 日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する
日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第28号)第1条
日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する
日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法
(昭和40年法律第146号)第1条第1項
1945年8月15日以前から日本に在留
する大韓民国国民
その直系卑属で協定発効後5年以内に
日本で出生した者
出生の日から60日以内 上欄該当者の子で協定発効後5年
経過以降に日本で出生した者
永住者 1990年6月1日 任意 (1991年10月31日) 出入国管理及び難民認定法別表第2 旧4-1-14に相当
平和条約関連国籍
離脱者の子
要期間更新 1991年10月31日 旧4-1-16-2に相当
在留期間3年(更新手数料無料)
特別永住者 1991年11月1日 自動適用 (現行) 日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国
管理に関する特例法(平成3年法律第71号)第3条
法定特別永住者
出生等の日から60日以内 同法第4条 特別永住許可
任意 同法第5条
  • 制度開始日及び適用終了日のうち、丸括弧を付したものは、その在留資格等自体の創設・廃止ではなく一部の適用対象に限って運用が開始又は終了したことを示す。
  • 根拠法令の条項はその当時のものであり、後の改正により現行の条項とは異なる場合がある。
  • 平和条約国籍離脱者及びその子孫のうち、「法126-2-6」、「協定永住」、「永住者」又は「平和条約関連国籍離脱者の子」に該当する者は、特別永住者制度施行日(1991年11月1日)に「特別永住者」へ自動的に移行した(特例法第3条適用)。当該移行措置に昭和28年政令第404号第14条該当者に関する規定は含まれなかった(その時点で既に該当者が存在しなかったためと思われる)。

要件

特別永住者と認定されるには、次のいずれかの要件を満たすこと[2]が必要である。

1.平和条約国籍離脱者または平和条約国籍離脱者の子孫で1991年11月1日(入管法特例法施行日)現在で次の各号のいずれかに該当していること

(1)次のいずれかに該当すること
ア 旧昭和27年法律第126号第2条第6項の規定により在留する者(平和条約国籍離脱者として当分の間在留資格を有さなくても日本に在留することができるものとされた者)
イ 日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法(旧日韓特別法。廃止)の規定により永住の許可(いわゆる協定永住)を受けている者
ウ 入管特別法改正前の入管法(以下「旧入管法」という)の規定に基づき永住者の在留資格を有して在留する者
(2)旧入管法に基づき平和条約関連国籍離脱者の子の在留資格をもって在留する者

2.平和条約国籍離脱者の子孫で出生その他の事由[3]により上陸の手続を経ることなく日本に在留する者で、60日以内に市区町村長を通じて法務大臣に特別永住許可申請をして許可を受けた者

3.平和条約国籍離脱者または平和条約国籍離脱者の子孫で「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」または「定住者」の在留資格を有する者で、地方入国管理局法務大臣に特別永住許可申請をして許可を受けた者

「平和条約国籍離脱者」及び「平和条約国籍離脱者の子孫」

詳細は「平和条約国籍離脱者」を参照

特別永住者であるためには、「平和条約国籍離脱者」又は「平和条約国籍離脱者の子孫」であることが前提要件とされ、具体的には1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約により日本国籍を離脱したものとされた在日韓国・朝鮮人及び在日台湾人(朝鮮戸籍令及び台湾戸籍令の適用を受けていた者で1945年9月2日以前から日本の内地に継続して在留している者)が対象となる。日本国外に出国し在留の資格を喪失した者(一般には韓国・朝鮮民主主義人民共和国に帰国した者を指す)はここでいう「平和条約国籍離脱者」には該当しない。

「平和条約国籍離脱者の子孫」とは平和条約国籍離脱者の直系卑属で日本で出生しその後引き続き日本に在留する者であることが基本的要件[4]となる。したがって、平和条約国籍離脱者の子孫であっても日本国外で出生した場合などは特別永住許可を得ることはできない。

特例

特別永住者はかつて日本国籍の保有者であったというその歴史的経緯から、他の外国人(特に通常の永住者)と比べ、次のような特例処置を受ける。

退去強制

特別永住者は、退去強制となる条件が他の外国人よりも限定される(特例法第9条)。具体的条件は次のとおり。

  • 内乱罪(付和随行を除く)、内乱予備罪内乱陰謀罪内乱等幇助罪で禁錮刑以上に処せられた。(執行猶予が付いた場合は除く)
  • 外患誘致罪外患援助罪、かそれら未遂罪、予備罪、陰謀罪で禁錮刑以上に処せられた。(執行猶予が付いた場合は除く)
  • 外国国章損壊罪私戦予備罪、私戦陰謀罪、中立命令違反罪で禁錮刑以上に処せられた。
  • 外国の元首、外交使節又はその公館に対しての犯罪で禁錮刑以上が処せられ、かつ法務大臣が(外務大臣と協議の上)日本の外交上の重大な利益が損なわれたと認定した。
  • 無期又は7年を超える懲役又は禁錮に処せられ、かつ法務大臣が日本の重大な利益が損ねられたと認定した。

特別永住者以外の外国人の退去強制手続が出入国管理及び難民認定法第24条に規定される退去強制事由(20項目以上)に基づくのに対し、特別永住者には同条は適用されず上記のような日本国の治安・利益にかかわる重大な事件を起こさない限り退去強制となることがない。

なお、実際に7年以上の懲役又は禁固刑に処せられた特別永住者は存在するが、法務大臣が日本の重大な利益が損ねられたと認定したことが無いため退去強制は行われたことはない。これをもってこの条項は死文化しているとの批判がある。

再入国許可

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2007年11月20日以降、外国人は日本入国(再入国を含む)の際に、顔画像と両手人差し指の指紋照合(提出)を義務付けられるが、特別永住者は免除される。一方、韓国では2010年7月からすべての外国人の指紋や顔の生体情報採取を行いデータベース化する方針である[5][6]指紋押捺拒否運動)。 また、その審査に当たっては通常の外国人には、上陸拒否事由に該当する場合は再入国許可が得られても上陸拒否されるが、特別永住者の場合は有効な旅券を有しているか否かのみが審査され、上陸拒否事由に該当したとしても再入国することができる。

また、通常の外国人の場合再入国の有効期限の上限が3年であるのに対し、特別永住者の上限は4年であり、再入国の許可を受けて出国した者について、当該許可の有効期間内に再入国することができない相当の理由があると認めるときは、その者の申請に基づき、1年を超えず、かつ、当該許可が効力を生じた日から5年を超えない範囲内(通常の外国人の場合は4年を超えない範囲)で有効期間の延長を認めることができる。

登録証明書携帯義務の制裁の特例

通常の外国人の場合、登録証明書を携帯しない場合、刑事罰として20万円以下の罰金に処せられる可能性があるが、特別永住者の場合は行政罰としての10万円以下の過料に処せられる可能性があるにとどまり、携帯義務違反を理由に現行犯逮捕強制捜査の対象にはならないこととなる(提示義務違反は刑事罰の対象になる)。

雇用対策法に基づく届出義務適用除外

2007年10月1日から事業主は、雇用対策法に基づき外国人を雇用した場合及び離職した場合、公共職業安定所に対し届出義務があるが、特別永住者については外交・公用の在留資格を有する者とともに届出義務が課せられない。また、国または地方公共団体が外国人を雇用した場合も公共職業安定所にその旨通知する必要があるが、同様に特別永住者についてはその適用がない。

資格の喪失

特別永住者であっても、あらかじめ再入国許可を受けることなく日本から出国(いわゆる単純出国)したり、再入国許可の有効期限が消滅した後も日本国に入国しない場合は特別永住者資格を喪失する。喪失した場合は再び特別永住者資格を取得することはできない。これは、日本に継続して在留していることが特別永住者の要件であるところ、再入国許可を受けないまま出国した場合はその時点で、再入国の有効期間を過ぎてもなお日本に入国しない場合は出国した時点に遡って、いずれも特別永住者資格を喪失し、「継続して在留した」との要件を満たさなくなるためである。なお、再入国許可を得て出国しその有効期間内に再入国した場合は継続して日本に在留しているものとして扱われる(これは在留の資格に関する解釈便宜上に限った観念であって、時効の停止・税法の適用など他の法令の解釈には影響しない)。

特異な事例としては、一時的出国に際して再入国許可を申請したが、外国人登録原票への指紋押捺拒否等により同申請が不許可となり、にもかかわらず日本から出国したため協定永住資格を喪失、再来時に当時の在留資格4-1-16-3(定住者に相当)を付与されたあと、行政訴訟等で制度の改善運動を行い、その結果、事後立法により特別永住者資格とするとの「みなし規定」で資格が復活した例がある(入管特例法附則第6条の2)。

実数

外国人
全体
平成03年(1991年) 693,050 約57%
平成08年(1996年) 554,032 約39%
平成09年(1997年) 543,464 約37%
平成10年(1998年) 533,396 約35%
平成11年(1999年) 522,677 約34%
平成12年(2000年) 512,269 約30%
平成13年(2001年) 500,782 約28%
平成14年(2002年) 489,900 約26%
平成15年(2003年) 475,952 約25%
平成16年(2004年) 465,619 約24%
平成17年(2005年) 451,909 約22%
平成18年(2006年) 443,044 約21%
平成19年(2007年) 430,229 約20%
平成20年(2008年) 420,305 約19%

平成20年現在の特別永住者の数は、ピークだった平成3年(約69万人)と比べ4割減の約42万人。日本国に住む外国人全体の中で約19%を占めるが、12年前と比べ割合が半減している。減少の原因として、1.毎年7000-10000人にのぼる帰化、2.日本人との国際結婚、3.死亡者数が新生児数を大きく上回っていることなどが考えられる[要出典]

2008年末時点では、特別永住者の国籍のうち、韓国・朝鮮は41万6309人(99%)、中国(台湾)は2892人(0.7%)、その他は1104人(0.3%)である[7]。2007年末に初めて一般永住者の数を下回った[8]

特別永住者の実際

上記のように特別永住者資格の要件は「戦前から日本に居住していた外国人」であることが前提要件であるが、実際には戦後、多くの韓国・朝鮮人が済州島四・三事件から逃れるために、また出稼ぎのために、日本へ密航して[9]特別永住資格を得た[10]とされる。たとえば、元在日韓国人のマルハン韓昌祐会長は、戦後出稼ぎのために密航し、戦後の混乱に紛れて特別永住資格を得たと証言しており[11]、特別永住資格者(在日韓国人3世)の俳優チョウ・ソンハは、「韓国の済州島出身の祖父は、戦後、大学で学ぶために日本に来た在日1世でした」と語っている[12]

また、1950年6月28日の産業経済新聞(産経新聞の旧称)朝刊では「終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているといわれる」と伝えており、一方西岡力は70万人(2000年現在)の在日韓国・朝鮮人のうち26パーセントにあたる18万人が戦後に日本に渡って特別永住資格を得た者であると述べている[10]

批判

在日特権」も参照

特別永住者資格は、他の在日外国人の在留資格と比較すると相対的に優遇されていることになるが、このことを問題視する意見がある。

特別永住者の国籍には以下のような特徴がある。

  • 元々、平和条約国籍離脱者が韓国・朝鮮人、台湾人のみであったため、「平和条約国籍離脱者」及び「平和条約国籍離脱者の子孫」である特別永住者にも、その3つの国籍が非常に多い。両親の国籍が日本以外の別々の国である場合、成人した子供が韓国・朝鮮、台湾以外の方の国籍を選択することがある。そのことにかかわらず、両親の一方が特別永住者であった場合、特別永住許可を申請できる。


特別永住者の参政権問題

詳細は「日本における外国人参政権」を参照

日本で生活する外国人のうち、永住資格を持つ外国人の人口は、2007年末時点で約87万人である。このうち朝鮮半島や台湾から戦前に移住してきた人々やその子孫で、現在も日本国籍を取得していない、いわゆる特別永住者の人口は、約43万人である。(「平成19年末現在における外国人登録者統計について」参照)。

日本における永住外国人参政権問題については、出身国に関係なく付与すべきという意見もあるが、旧植民地を出身とする特別永住者に対してどのように考えるかということが最も意見の分かれるところである。さらに、本来の特別永住者たる資格要件(戦前から日本に居住していた外国人)を満たさない、不正資格者(密入国者)の存在が、論議を難しくしている。

植民地の統治

1895年に日清戦争で勝利した日本は、下関条約によって初めての植民地である台湾を清から割譲された。その後1905年に日露戦争後のポーツマス条約でロシアから樺太の南半分を獲得し、その5年後の1910年には日韓併合条約を締結して、先の二つの戦争のそもそもの原因であった朝鮮半島の併合を成し遂げた。これらの地域は外地とも呼ばれ、日本の領土、すなわち大日本帝国憲法の効力が及ぶ範囲として、太平洋戦争で日本が敗北する1945年まで統治された。日本はこれらの地域に住む多様な民族を包含する多民族国家となった。

これらの植民地に元から住んでいた住民は、大日本帝国の臣民すなわち日本国民であるとされて日本の国籍を持った。但し戸籍については日本人と区別され、植民地ごとに別の戸籍が作られて戸籍法の適用を受けなかった。外地出身の家系であれば内地で生まれても、婚姻等でもない限り内地へ転籍できず外地の戸籍に入籍した。住民には帝国臣民として日本民族に同化させる政策がとられた。その後日中戦争が勃発し、戦時体制が固められていく中で、創氏改名や日本語教育、神社参拝などの皇民化政策が推し進められ、同化(日本人化)政策は強化されていった。植民地では経済的な困窮が続き、内地(日本本土沖縄)や南樺太などへ出稼ぎとして移住する者も多かった。

植民地の参政権

これら植民地では、内地の法律を勅令によって適用させることができるとした。

また台湾と朝鮮については、それぞれ固有の民族や文化に適応した統治を行うために、政府は台湾総督府、朝鮮総督府の各総督に対して立法権を委任した。総督は日本の陸海軍大将などが天皇から任命されて就任した。台湾と朝鮮の総督が制定する法律に替わる命令は帝国議会の協賛を要するとされた。

樺太については、内地からの移住者が多かったため原則的には独自に法律を作ることはなく、内地の法律が適用された(実際に1943年には内地に編入されている)。

これらの地域には衆議院議員選挙の選挙区が設置されなかった。つまりこれらの植民地住民は、立法権を持つ帝国議会議員や総督の選定に容喙できず、道会、州会等の地方議会選挙を通じて民意を表明しうるにすぎなかた。これはこの地域に住む日本人も同様であった。なお選挙を要しない貴族院では、朝鮮人、台湾人も議員に任命されていた。

ただし台湾人、朝鮮人であっても、内地に移住した場合は当然に衆議院議員や内地の地方議会選挙で選挙権を行使できた。

被選挙権については、選挙区への居住が条件づけられていないため、内地の選挙区を選んで出馬することは出来た。ただし外地に居住する台湾人、朝鮮人で実際に出馬した例はなかった。

内地の参政権

内地では1912年に沖縄県が選挙区に加わり、小笠原諸島や千島列島を除くほぼ全土にわたって帝国議会の議席が与えられた。1925年に施行された普通選挙法によって、25歳以上の男子で内地に居住する帝国臣民は納税額に関わらず参政権が認められた。ただし貧困により扶助を受けている者や、六ヶ月以上一定の市町村に居住していない者には認められなかった。日本の有権者は1240万人へと増加した。居住条件が台湾人や朝鮮人には不利であったが、内地への移住者が増加するに伴って有権者の数も増加した。

1932年には朝鮮人の朴春琴が衆議院議員選挙で東京4区から出馬して当選を果たした。朴春琴は在日朝鮮人労働者の相互扶助団体「相愛会」を設立(会長:李起東)し、自らは副会長に就任していた。1928年には理事長に朝鮮総督府警務部長、警視庁特高課長を務めた丸山鶴吉を迎え、親日融和を標榜する政府御用団体として成長した。東京4区は戦前に在日朝鮮人が多く住んでいたが、有権者としてははるかに多数派であった日本人の支持を得るため日本の大陸進出を推し進める政策を主張した。朝鮮統治にとって好ましい候補者であったため朝鮮総督府や軍から支持された。外地出身者で立候補した者は他にもいたが衆議院で議員になったのは朴春琴だけである。朴春琴は1937年に再選したが以後は落選した。

このほか地方議会でも1932年に朝鮮人の朴柄仁が尼崎市会議員選挙で当選するなど外地出身者で当選を果たした者もいた。1940年に創氏改名令が施行されたが選挙は戸籍名で行われ、候補者はたとえば朝鮮人であれば朝鮮名を名乗って出馬した。1930年からはハングルでの投票も有効とされた[1][2]

戦時中

1938年に国家総動員法が制定され、政府は内地外地ともに労働力や物資を統制下に置き、動員や調達が出来るようになった。内地ではさらに徴兵令から改定された兵役法や国民徴用令が発動されていたが、戦況の悪化とともに日本人だけでは兵員や労働者が不足するようになり、それぞれ外地でも適用されるようになった。兵役法は戸籍法の適用を受ける日本国民男性を徴集の対象としていたため、戸籍法の適用を受けない植民地住民は対象となっていなかった。1943年に政府は兵役法を改定し「戸籍法の適用を受ける者」の部分を削除し、植民地住民の徴兵を可能とした。

台湾では徴兵制は1945年から、国民徴用令は日本と同じく1939年から適用された。朝鮮では徴兵制は1944年から、徴用については1939年に「募集」、1942年からは官斡旋と形態を変えて動員が図られ、1944年に国民徴用令が正式に適用された。これにより多くの人が動員され、日本内地への移住や戦地への赴任を余儀なくされた。

徴兵や徴用の見返りに、1945年4月1日に改正された衆議院議員選挙法によって台湾と朝鮮にも帝国議会の議席が与えられ、選挙によって衆議院に議員を送ることが出来るようになった。但し有権者は1年以上直接国税15円以上の納税という制限が課されており普通選挙ではなかった。また議席数は、衆議院の定数466に対し台湾5名、朝鮮22名とされた。また1943年に内地に編入された樺太でも同時に3名の議席が認められた。しかし敗戦のため実施されずに終わった。また貴族院でも台湾と朝鮮から勅撰議員を選出することが決められ台湾、朝鮮から合わせて10名の議員が選出された。

連合軍占領期

戦後すぐに多くの旧植民地人は帰国して行ったが、既に日本での生活に慣れ親しんだ一部の人々は、帰国することを望まなかった。また帰国したくても渡航費用が無かったり、帰国後の生活基盤が無い上に持ち出し制限が課されて帰国を諦めた人もいた。また一度は帰国したものの、その後の朝鮮戦争などの混乱のために、日本に残った親類などを頼って日本に戻る人も見られた。日本に残り定住を決めた旧植民地人の多くは、戦前に自らの意思で移住してきた人々であって、徴用などで連行されてきた人々の大半は帰国した。

彼らの地位や権利をめぐっては不確定な時期が続いた。連合軍の占領下にあった日本政府は、戦争終結の平和条約を締結するまではこれらの人々について日本国籍を保持するとした。連合軍総司令部もそれを支持し、さらに旧植民地に正式に承認された国家が成立するまでは日本国籍を持つものとするとの考えを示した。1945年10月23日に政府は、内地在住の台湾人と朝鮮人の参政権保持を認めることを閣議決定した。しかし同年12月17日に改定された衆議院議員選挙法の付則では「戸籍法の適用を受けない者」の参政権を当分の間停止すると定め、旧植民地人の参政権を停止した。1947年5月には外国人登録令によって外国人としての登録を義務づけた。1948年8月に大韓民国、9月に朝鮮民主主義人民共和国が成立して朝鮮半島が南北に分裂、また1949年10月の中華人民共和国成立を受けて12月に中華民国国民政府が首都を台北に移転した。

1951年9月8日、日本はサンフランシスコ講和会議に全権を派遣して平和条約に調印、同条約は4月28日に発効し、日本が連合軍の占領から解かれ、また正式に台湾や朝鮮などの植民地と、千島列島や南樺太など内地の一部に関する権利を放棄することが決定した。この発効の直前、1952年4月19日に法務府民事局長が通達を出し、「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」によって在日台湾人及び朝鮮人は一律に日本国籍を喪失することとなった。平和条約には旧植民地人の国籍に関する明文はなかったが、政府は戸籍法を基準として、内地に戸籍の無い住民は全て日本国籍を喪失するとした。また特に台湾については、1952年4月28日に日本が中華民国国民政府と調印し、8月5日に発効した日華平和条約をもって台湾人は日本国籍を喪失したとされた。

これら決定に至る過程で、日本政府内には当初旧植民地人に対して国籍選択権を与える考えがあったことも指摘されている。また一方で、たとえば当時の韓国政府は韓国併合以前の条約は全て無効であるとの立場をとっており、日本に在住する韓国人(朝鮮人)については、そもそも日本国民ではなく、大韓民国樹立によって日本国籍とされていたものから離脱し韓国国籍を回復した、とする「在日韓国人の法的地位に関する見解」を連合軍総司令部に伝えていた。平和条約発効の同日、外国人登録法が制定された。日本政府は在日台湾人、朝鮮人に対して国籍選択権を与えないことを決め、彼らは日本国籍を失い、外国人として日本で暮らすことになった。

平和条約締結後

日本国籍を喪失した旧植民地人は、参政権をはじめ国民年金国民健康保険などの日本で生活する社会的権利が与えられなかった。彼らにとって、日本国民として日本人とほぼ同等であった戦前とは逆に、戦後は徹底して排除される政策となった。その後徐々に改善され、1960年代の後半から国民健康保険制度が、1980年代には国民年金制度が適用されるようになった。

外国籍でありながらこれらの社会保障制度が認められているため、日本国民の中には旧植民地人には権利は充分に与えられており、それ以上は必要ないと考える人もいる。逆に日本で永住する旧植民地人の中には、一度奪われたものを長年の努力で徐々に回復してきたという意識もあって、その延長線上に参政権がある、と考える人もいる。彼らは日本人と同様に税金は納めているが、現代の日本のみならず世界中のほとんどの国は、いわゆる普通選挙制度を採っており、納税を参政権要求の根拠にするのは今の時代にはふさわしくない、という指摘がなされている。 彼らが日本国籍を取得すればこれらの問題は全て解決するが、戦後かなり長い間、旧植民地人であるなしに関わらず、外国人が帰化することは容易なことではなかった。また彼らの中に帰化することへの心理的な抵抗を抱いている人が少なからずいたということも指摘しておかねばならない。

1991年に、出入国管理及び難民認定法(入管法)の特例として施行された法律で、戦前から定住する旧植民地人(いわゆる平和条約国籍離脱者)とその子孫は特別永住者となった。これらの人々には、日本国民と同等の社会的権利の多くが認められるようになったが、参政権については国政選挙、地方選挙に関わらず認められていない。特別永住者や日本国民の中には、特別永住者に対して外国人という立場のまま地方参政権を付与するべきという意見もある。一方で、90%以上が日本で生まれたという特別永住者に対して、選挙権を与えるのではなく、帰化手続きを簡易にし、日本国籍を取得を促せば良いという意見もある。あるいはいくつかの国が取っているように、日本で生まれた者は自動的に日本国民となる生地主義を導入するべきだという意見もある。2003年から帰化の動機書が不要になるなど、特別永住者の帰化申請手続きは年々容易になりつつある。

関連項目

注釈

  1. ^ 平成20年末現在における外国人登録者統計について
  2. ^ その他、特例として旧日韓特別法に基づく永住の許可を受けて在留していた者で、再入国の許可を受けることなく出国し、外国人登録法の一部を改正する法律(平成11年法律第134号)の施行の日(2000年2月18日)において入管法別表第二の上欄の在留資格をもって在留しているものが、同日以降、同欄の永住者の在留資格をもって在留するに至ったときも特別永住者の資格を取得するが、これは指紋押捺拒否運動により再入国の許可得られないまま出国し、永住者資格を喪失した者に対する救済措置として特定の個人(該当者1名)を対象として特別に特別永住者資格が与えられたものである。
  3. ^ 二重国籍者で、日本国籍を離脱したり選択しないことにより日本国籍を喪失する場合をさす。
  4. ^ 正確には、さらに以下のいずれかの要件を満たすことが必要である。
    一 平和条約国籍離脱者の子
    二 前号に掲げる者のほか、当該在留する者から当該平和条約国籍離脱者の孫にさかのぼるすべての世代の者(当該在留する者が当該平和条約国籍離脱者の孫であるときは、当該孫。以下この号において同じ。)について、その父又は母が、平和条約国籍離脱者の直系卑属として本邦で出生し、その後当該世代の者の出生の時(当該出生前に死亡したときは、当該死亡の時)まで引き続き本邦に在留していた者であったもの
  5. ^ 外国人指紋登録を来年下半期から実施、法務部 聯合ニュース 2009/04/03 閲覧
  6. ^ 外国人に指紋と「顔の情報」提出を義務付けへ 朝鮮日報 2009/04/07 閲覧
  7. ^ 登録外国人統計2008年
  8. ^ 外国人登録、中国籍トップ、韓国・朝鮮籍を抜く(産経新聞2008年6月3日)
  9. ^ アジア歴史資料センターリファレンスコード A05020306500「昭和21年度密航朝鮮人取締に要する経費追加予算要求書」。1959年6月16日朝日新聞 「密入出国をした朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人としている」
  10. ^ a b 2000年9月26日産経新聞
  11. ^ 2005年5月18日テレビ朝日『ワイド!スクランブル』マルハン韓昌祐会長証言と番組での解説
  12. ^ 2008年2月27日読売新聞、2008年2月28日読売新聞

外部リンク