千田町 (広島市中区)
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千田町(せんだまち)は、広島市中区に位置する町である。ここでは、「千田」を町名に含む地区の総称として用いる。
目次 |
概要
京橋川・元安川(上流は本川)に囲まれたデルタの最南端に位置する。かつては広島大学を初めとする多くの学生が学業に励み生活していた市内有数の文教地区として知られていたが、近年の大学移転により学生街としての性格は次第に薄れつつある。
隣接する地区
歴史
現在の千田町は、もともと藩政期に新開地(埋立地)として広島湾頭に造成された土地であり、当時は広島城下国泰寺村の一部をなしていた。その後町名変更により国泰寺村より独立、宇品港(現在の広島港)を築港した当時の広島県令(現在の県知事)の千田貞暁にちなみ「千田町」と改名した。
第二次世界大戦以前から、この地区には広島高等師範学校・広島高等工業学校・広島文理科大学・山中高等女学校(のち広島女子高等師範学校)・修道中学校などの高等・中等の教育機関が立地していた。このため、文教都市としての広島を象徴する町とされていた。
1945年8月6日の原爆投下に際しては、千田町地区はおおむね爆心地から1.5 - 2.5km前後に位置しており、北半部は全焼もしくは全壊、南半部はやや被害は小さかったもののほとんど半壊地域であり、建物疎開や公共機関での勤労奉仕のため動員された学徒も含め多くの人的・物的被害を受けた。地区内では最大の医療施設である赤十字病院も大きな被害を受けたが早い時期から殺到する被爆者の治療に当たった。なお当日正午前、市中心部方面から被害の小さい宇品へと避難するため御幸橋西詰に集まってきた人々を中国新聞カメラマン(松重美人)が撮影しており、当日の市街地の状況を知るほとんど唯一の写真となった。
戦後、1949年には前記の広島高師・広島女高師・広島工専(高工)・広島文理大などを包括して新制広島大学が発足し本部キャンパスが置かれたのでこの地区は市内随一の文教地区であり続けたが、1980年代以降、キャンパスが手狭になったことから広島大本部および主要学部が東広島市に移転、中等以上の教育機関としては、広大の通信課程施設(東千田キャンパス)の他には修道高校・中学校のみが残っている。
住居表示・地誌
- 千田町(せんだまち)一〜三丁目
- 千田町地区全体のうち、おおむね電車通り以南に位置する区域(一部電車通り以北区域も含んでいる)の北半分。
- 東千田町(ひがしせんだまち)一・二丁目
- 千田町地区全体のうち、電車通り以北に位置する。半分近くはかつての広島大キャンパス(東千田公園)である。
- 南千田西町(みなみせんだにしまち)・南千田東町(みなみせんだひがしまち)
- 地区の南端、すなわちデルタの南端に位置し、京橋川・元安川の合流点を臨む。
主な施設
公共機関
- 千田水資源再生センター(広島市下水道局管理部 / 南千田西町)
学校
- 広島大学東千田キャンパス(東千田町) - 旧広島大学本部キャンパス(現在は東広島市に移転)。
- 広島市立千田小学校(東千田町)
- 修道中学校・高等学校(南千田西町・東町)
文化施設
- 広島県情報プラザ(千田町) - 広島県立図書館・広島県立文書館などの複合施設。かつての旧制校(広島工専)以来の広島大工学部キャンパス跡地。
会社
病院
- 広島赤十字・原爆病院(日赤病院 / 千田町)
公園
- 東千田公園(東千田町) - 広大本部跡地の一部を公園としたもの。跡地には被爆建造物である旧広大理学部1号館(元・広島文理大本館)が残されている。
宗教施設
- 妙法寺(千田町)
道路
- 国道2号線
- 広島県道243号広島港線
- 広島市道霞庚午線・広島市道御幸橋三篠線
- 御幸橋・宇品橋 - 京橋川に架橋。
- 南大橋・南千田橋 - 元安川に架橋。

