力皇猛

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力皇 猛
プロフィール
リングネーム 力皇 猛
本名 井上 猛
ニックネーム 怪力無双
身長 191cm
体重 125kg
誕生日 1972年12月20日(37歳)
出身地 奈良県桜井市
所属 プロレスリング・ノア
スポーツ歴 大相撲
トレーナー 小橋建太
三沢光晴
デビュー 2000年5月28日
  

力皇 猛(りきおう たけし、1972年12月20日 - )は、日本プロレスラー、元大相撲力士(元鳴戸部屋所属)。奈良県桜井市出身。本名は、井上 猛(いのうえ たけし)。力士時代の四股名は、力櫻 猛(りきおう たけし)。最高位は西前頭4枚目。愛称は「リッキー」・「リキさん」、血液型はB型。

目次

来歴

大相撲時代

桜井東中学校時代は野球部に所属していたが、元横綱隆の里鳴戸親方から熱心に勧誘されて二子山部屋に鳴戸親方の内弟子として入門した。1988年3月場所に井上猛の四股名で初土俵を踏むが、同期には(後に第64代横綱)、貴乃花(後に第65代横綱)、若乃花(後に第66代横綱)、魁皇(後に大関)、和歌乃山(後に小結)など、多くの強豪力士がおり「花の六三組」と称された。

本人は二子山部屋に残ることを希望したが、内弟子としての入門であったため、1989年2月に鳴戸親方が二子山部屋から分家独立して鳴戸部屋を創設した際、鳴戸部屋に移籍した。移籍後は師匠の厳しい指導方法に反発し、ことあるごとに鳴戸親方とは対立した。幕下時代には門限に遅れたのを叱責されてを切り落としたほどであった。腕力が強く強烈な上手投げを打つ豪快な取り口で将来は三役も嘱望されたが、幕内8場所目の1997年9月場所前に私生活のことで師匠と女将さんと対立し部屋を飛び出し、そのまま24歳で角界から引退した。一説には力櫻自身が自ら破門を申し入れ、鳴戸親方もそれに応じる形で引退届を提出したともいわれる。

プロレス時代

1999年
2000年
  • 3月11日、後楽園ホールでのバトルロイヤルでプレ・デビュー(この時のリングネームは本名の井上猛)。
  • 5月28日、後楽園ホールで正式デビュー。同い年で親友の魁皇博之武双山正士も駆け付けた。
2000年
ノア旗揚げ後、小橋建太や同期で小橋の付人・小林健太(KENTA)らと(新生)バーニングというチームを結成。小橋を師として仰いだ(ただし付人はしていない)。また、相撲出身のレスラーにありがちの「相撲タイプから脱却できない」ことを危惧し、必死の努力で肉体改造に成功。お腹の出ていない、引き締まった体格を手に入れている。小橋が膝の手術で長期欠場に入ると三沢光晴率いるWAVEに預けられる。
2001年
この頃森嶋猛とのコンビ「WILD II」を結成。
2002年
この頃オリジナルの必殺技「無双」を開発。
2005年
この年、2005年度プロレス大賞殊勲賞を獲得。
2006年
  • 1月22日曙太郎と組み、小橋建太&泉田純至組から、合体技『リキボノスプラッシュ63』で泉田純至を2人で押しつぶし、曙が泉田からフォール勝ちを収め、WILD II以来の名タッグ結成を予感させた。
2007年
  • 4月1日、秋山準とのタッグで森嶋猛・モハメド・ヨネ組に勝利。第14代GHCタッグ王座に就く。
  • 8月14日から頸椎損傷のため大会を欠場、出場していたGHCヘビー級選手権次期挑戦者決定リーグ戦は、モハメド・ヨネ戦に勝利した試合以外は全て不戦敗に。
2008年
2009年

人物

  • 「ノアで一番強いのは実は力皇」と噂されており、それを裏付ける試合をいくつか残している。
  • ZERO-ONEの興行で、三沢光晴小川直也の禁断の初遭遇においてシュートマッチ対策として三沢のパートナーに指名された(小川のパートナーは村上和成)。大相撲出身ならではの打たれ強さで小川や村上の顔面パンチやキックをものともせず(さらに自ら挑発していた)、三沢がバックドロップホールドで村上からフォールを取った瞬間も、場外で小川から完全にマウントポジションをとって、打撃をぶちかましていた。
  • 2005年のシングル実績は素晴らしく、会社が一押しで「売って行こう」というのが、その勝ち星の数から感じられた。

だが、勝ち星の数と集客数は比例せず、興行として会社から「王者失格」の烙印を押されタイトルは短期で失う事になる。以後微妙なポジションのまま今に至る。

  • 同じく微妙なポジションから抜け出せないモハメド・ヨネユニットを結成するも、ベビーフェイスともヒールとも言えないポジションのままである。
  • デビュー前、元力士(関取)であるという理由で、小橋からエドモンド井上ストリートファイターシリーズに登場する力士キャラクターにちなんでいる)というリングネームを命名されそうになったが拒否した。
  • 大相撲時代はオレンジ色の廻しを締めることが多かった。
  • 大柄な体つきからはちょっと意外であるが、かなりの甘い物好き。「週刊プロレス」の選手名鑑コーナーにある好きな食べ物の欄には、「シュークリーム」・「プリン」・「メロンパン」と書かれている。
  • 大のラグビーファンでもある。

大相撲時代

主な成績

  • 通算成績:307勝248敗20休(58場所)
  • 幕内成績:54勝51敗15休(8場所)

各段優勝

  • 十両優勝2回(1996年1月場所、1996年5月場所)

改名歴

  • 井上 猛(いのうえ たけし)1988年3月場所
  • 二子桜 猛(ふたござくら - )1988年5月場所 - 1989年1月場所
  • 力桜 猛(りきおう - )1989年3月場所 - 1993年5月場所
  • 力櫻 猛(りきおう - )1993年7月場所 - 1997年9月場所

プロレス時代

得意技

無双
股下をクラッチして持ち上げて高角度で背面から体重を浴びせながら落とす変形ロック・ボトム。力皇のオリジナル必殺技。名前は親友である武双山から貰った。アレンジとして「無双・改」と「裏・無双」(GHCヘビー級選手権試合小橋建太との試合にて一度だけ披露)がある。
天下無双
変形の喉輪式無双。2007年7月15日、日本武道館大会のGHCヘビー級タッグ選手権試合で、川畑輝鎮にこの技で勝利した。
ラリアット
パワーを利したタックルのようなランニング式と腕力を駆使したショートレンジ式を使う。ショートレンジ式は大きく振りかぶって打つ張り手を数発打ってからのコンビネーションで使用することもある。「リキ・ラリアット」とも呼ばれるが、長州力の「リキ・ラリアット」と混同されるので最近はあまりこう呼ばれない。ジュニアの選手に仕掛けると、相手は1回転することがある。
高角度パワーボム
担ぎ上げた後、溜めを作って落とす。師匠である小橋建太が使う、ターンバックルに打ち付ける非常に危険なパワーボムも大試合では敢行する。
ブレーンバスター
力皇は通常のブレーンバスターと言うよりも、自身の体重を浴びせるジャック・ハマーのような体勢で落とすことが多い。
合掌落とし
「合掌捻り落とし」の略。若手時代に開発したオリジナル必殺技。相撲の合掌捻りのように相手の顔を両手で挟み、左右に大きく揺らしてから真上へ持ち上げ背面からマットへ投げ捨てる。どちらかというと「徳利投げ」の要領に近い。最近は使用頻度が減った。
ぶちかまし
相撲の応用技。頭から相手の腹部辺りに体当たりする。ここ一番で出すこともあり、小橋を倒し第7代GHC王者になった時は、フィニッシュの無双の直前に繰り出し、リング中央付近から一気にコーナーポストへと押しやった。
突っ張り
相撲の経験を生かした強烈さが持ち味。ビンタ気味に繰り出すタイプでは一撃でグロッキー状態にする事も珍しくない。
ベアハッグ
相手が飛びかかってきたところを捉えてボディを絞め上げる。力皇にはここからの派生技が多い。
ベアハッグブレーンバスター
ベアハッグから相手の首を抱え、相手の腕を自分の首に掛けるように持ち替え、ブレーンバスターを放つ。力皇の定番ムーヴ。
ベアハッグDDT
ベアハッグから相手の首を抱えるように持ち直し、DDTのように脳天から落としていく荒技。キン肉バスターよろしく全身をガチガチに固められた状態で頭から叩き付けられるため、相手が受身を取り辛い。この技をまともに喰らった齋藤彰俊は、頸椎捻挫胸骨亀裂骨折という大怪我を負った。またの名を「どすこいDDT」(ただし、このネーミングは非公式)
ダイビング・ボディ・プレス / ダイビングクロスボディ
120kg超の体格で綺麗なフォームで飛ぶダイビングボディアタック、大きな試合で使われる事が多い。

入場テーマ曲

  • A Passage In Time / Authority Zero

獲得タイトル

プロレスリング・ノア

GHCヘビー級王座
  • 第7代(防衛3回)
GHCタッグ王座
  • 第4代(防衛4回)&森嶋猛
  • 第14代(現王者・防衛0回)&秋山準
プロレス大賞
  • 2005年度プロレス大賞殊勲賞

関連項目

外部リンク