ステファン・ランビエール

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オリンピック
フィギュアスケート
2006 男子シングル
ファイル:Pix.gif ステファン・ランビエール
Stephane LAMBIEL
ファイル:Figure skating pictogram.svg
ファイル:Stephane LAMBIEL Grand Prix Final 2007-2008.jpg
2007/2008 GPファイナルの表彰式にて
基本情報
代表国: ファイル:Flag of Switzerland.svg スイス
生年月日: 1985年4月2日(24歳)
出生地: マルティニ
身長: 177 cm
コーチ: ヴィクトール・ペトレンコ (2009)[1]
元コーチ: ピーター・グルッター (-2009)[1]
振付師: サロメ・ブルナー[2]
アントニオ・ナハロ
所属クラブ: クラブ・デ・パティナール・デ・ジュネーヴ[3]
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 239.10 2007 GPファイナル
ショートプログラム: 83.80 2007 GPファイナル
フリースケーティング: 160.90 2006 世界選手権

ステファン・ランビエール(Stéphane Lambiel、1985年4月2日[2] - )は、スイスフィギュアスケート選手(男子シングル)。2006年トリノオリンピック銀メダリスト。世界選手権2連覇(2005年2006年)。ISUグランプリファイナル優勝2回。

目次

人物

スイスのマルティニに生まれ、サクソンで幼少期を過ごす。みんなが顔見知りの小さな村から、いつも50人ほどのカウベルを持った応援団がランビエールの試合に駆けつけていたという[4][5]

家族はアルプス生まれの父、ポルトガル出身の母[6]、3歳上の姉、4歳下の弟。フランス語ドイツ語スイスドイツ語ではない)、英語ポルトガル語を流暢に話し、さらに現在はイタリア語日本語を学んでいる。2004年に聖モーリスカレッジで生物学化学のマチュリテ(大学入学資格-高等教育修了証)を得ているが、フィギュアスケートに専念するため大学進学は見送っている。ジュネーヴローザンヌを練習拠点とし、夏にスイスのリンクが閉まっている間はドイツで練習していた。

トッド・エルドリッジの生き方、アレクセイ・ヤグディンの人間性、エフゲニー・プルシェンコの技術を尊敬していると述べたことがある。同じスイス出身の世界的テニス選手ロジャー・フェデラーの大ファンであり、フェデラーは自分にとって神のような存在だと語っている[要出典]。一時期カロリーナ・コストナーと交際していた[6]。ラッキーアイテムとしてテントウムシグッズを集めている[3]

スイス国内の多くの企業がスポンサーについており[7]、スイスの時計メーカー121TIMEの「スピンマスター」という名前の腕時計をデザインしたこともある[8]。2005年以降は日本アイスショーにも度々出演し、2006年秋から2007年初頭にかけて富士ゼロックスのテレビCMに出演、東京開催の2007年世界選手権の際も放映されていた。「世界選手権の出場は日本のスポンサーの影響ではないか」との噂も流れたが、元コーチのセドリック・モドノは「日本での彼の人気が出場を決心させた」と述べている[9]。2007年10 月から公式サイトに日本語版が追加された。

技術・演技

4回転トウループジャンプを得意とした。演技後半にも4回転を跳び、また、4回転からの3連続コンビネーションにも幾度か成功している。一方、3回転アクセルは苦手で、試合では2回転アクセルに変更することが多かった。3回転サルコウは逆回転でも跳ぶことができる[10]スピンの安定感、早さ、ポジションの美しさにはジュニア時代から定評がある[3]

観客を楽しませることを第一に考えるスケーターで、2006-2007、2007-2008シーズンのフリープログラム「ポエタ」はその芸術性が高く評価された[11]。2005-2006シーズンの『四季』には「冬山に迷い込んだシマウマ」というインスピレーションがあり、衣装もそれに合わせてシマウマ柄であった[5]。自ら「芸術面では僕に勝る選手はいない」と述べており[12]、発言も芸術性に関するものが多い[13]。現在の採点システムに関しても積極的に発言している[14][15]

経歴

7歳の時、先にスケートをしていた3歳年上の姉と一緒にリンクへ連れて行かれ、芸術性に魅せられてスケートを始める[4]。その数年後、コーチのピーター・グルッターと振付師のサロメ・ブルナーに出会う。11歳でスイスノービスチャンピオンとなり、ローザンヌで開催された1997年世界選手権のエキシビションに出演した。1997-1998シーズンからジュニアクラスに上がり、スイス選手権ジュニアクラスを2連覇。2種類の3回転-3回転コンビネーションジャンプとスピンに力をいれ、2001年世界ジュニア選手権では5位に入賞した。

2000-2001シーズンからはシニアクラスに参戦し、スイス選手権初優勝(以降、2008年大会まで8連覇)。翌2001-2002シーズン、欧州選手権での4位入賞を評価され、ソルトレイクシティオリンピック世界選手権への出場権を獲得する。

2002-2003シーズンからプログラムに4回転ジャンプと3回転アクセルを積極的に取り入れるようになる。2003-2004シーズンには膝の手術のため2ヶ月の休養に入るが、復帰後に方向性を見失ってスランプに陥る。この時にコーチをセドリック・モノドに変えたがうまくいかず、グルッターとブルナーのもとに戻った[6]世界選手権ではフリースケーティングに2度の4回転を取り入れて4位入賞を果たす。翌世界選手権では、予選からフリーまで大会を通じて5度の4回転ジャンプを成功させ、スイスの男子シングル選手として58年ぶりの世界チャンピオンになった。

2005-2006シーズン、オリンピック直前に膝を怪我していた[10]。しかし、グランプリファイナル初優勝、欧州選手権2位と活躍を見せた。トリノオリンピックではフリースケーティングで4回転トウループ-3回転トウループ-2回転ループのジャンプを成功させて銀メダルを獲得、表彰式では涙を流すシーンも見られた。続く世界選手権ではスイス選手では初めてとなる2連覇を達成した。

2006-2007シーズンは、オリンピックでの銀メダル獲得や世界選手権を2連覇したことから競技に対する情熱を失ってしまい[16]、アイスショー「アート・オン・アイス」に出場するなど、将来への模索があったという[9]グランプリシリーズスケートカナダではSP7位から逆転優勝したが、NHK杯はウイルス性の風邪で棄権[10]。スイス選手権7連覇を果たしたが、1月に入ってから「内なる炎がなくなった」として欧州選手権を棄権した[16][17]。その後、ショーで観客の声援を受けたことで世界選手権を決意し[17]、銅メダルを獲得。2007年以降も競技会続行する意志を表明した。

2007-2008シーズン、グランプリシリーズ中国杯ロシア杯では、技術的にはやや精彩を欠きながらも演技構成点では高評価を得て表彰台には上がり続け、グランプリファイナルではショートプログラム2位から逆転優勝を果たした。続く欧州選手権は2位、フリースケーティングの演技構成点では80点をマークした。世界選手権では精彩を欠き5位に終わる。

2008-2009シーズン、練習環境の改善を求めて、長年師事してきたピーター・グルッターを離れ、アメリカニュージャージー州ウェインでヴィクトール・ペトレンコの指導を受け始める[1]。しかし、2008年世界選手権中に痛めた左足内転筋[18][19]の回復が思わしくなく、満足に練習できないとして10月に引退を表明[20]。プロスケーターとして活躍する傍ら、コロンビアの貧しい子供達のために家と学校を建てようというNGO「Moi pour Toit」の活動にも尽力している。

2009年7月25日に公式HPにおいて引退の原因となっていた左足内転筋の痛みが治療によって緩和されたため、バンクーバーオリンピックの出場を目指して競技会に復帰することを表明[21]し、オリンピックの出場権獲得のためにネーベルホルン杯に出場、総合232.36点で優勝した[22]

主な戦績

大会/年 97-98 98-99 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07 07-08 09-10
冬季オリンピック 15 2
世界選手権 18 10 4 1 1 3 5
欧州選手権 9 4 5 6 4 2 2
スイス選手権 1 J 1 J 1 1 1 1 1 1 1 1 1
GPファイナル 1 1
GPスケートカナダ 1
GP中国杯 2 3
GPラリック杯 6
GPロシア杯 5 2 2
ネーベルホルン杯 1
ネペラメモリアル 1
フィンランディア杯 11
世界Jr.選手権 10 5
JGPメキシコ 2
JGPSBC杯 3
JGPピルエッテン 7
JGP中国 8
JGPサン・ジェルヴェ 8 9
トリグラフトロフィー 3 N

詳細

2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年12月11日-12日 スイスフィギュアスケート選手権ルガーノ 1
83.91
1
160.32
1
244.23
2009年9月24日-27日 2009年ネーベルホルン杯(オーベルストドルフ) 1
77.45
1
154.91
1
232.36


2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年3月17日-23日 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) 5
79.12
7
138.76
5
217.88
2008年1月21日-27日 2008年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ザグレブ) 3
71.78
2
153.46
2
225,24
2007年12月13日-16日 2007/2008 ISUグランプリファイナル(トリノ) 2
83.80
1
155.30
1
239.10
2007年12月7日-8日 2008年スイスフィギュアスケート選手権(ヴィンタートゥール) 1
76.84
1
132.71
1
209.55
2007年11月22日-25日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) 1
80.49
2
138.35
2
218.84
2007年11月7日-11日 ISUグランプリシリーズ 中国杯(ハルビン) 3
70.20
3
122.02
3
192.22


2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年3月20日-25日 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) 6
72.70
2
160.65
3
233.35
2006年12月7日-9日 2007年スイスフィギュアスケート選手権(ジュネーヴ) 1
74.82
1
132.13
1
206.95
2006年11月2日-5日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ビクトリア) 7
64.45
1
146.25
1
210.70


2005-2006 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2006年3月19日-26日 2006年世界フィギュアスケート選手権(カルガリー) 1
40.23
4
77.41
1
156.58
1
274.22
2006年2月10日-26日 トリノオリンピック(トリノ) - 3
79.04
4
152.17
2
231.21
2006年1月17日-22日 2006年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(リヨン) - 3
74.73
2
154.14
2
228.87
2005年12月16日-18日 2005/2006 ISUグランプリファイナル(東京) - 1
80.60
1
149.50
1
230.10
2005年12月9日-10日 2006年スイスフィギュアスケート選手権(ビアスカ) - 1
85.93
1
141.07
1
227.00
2005年11月24日-27日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯(サンクトペテルブルク) - 2
78.35
2
147.20
2
225.55
2005年11月3日-6日 ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) - 3
70.20
2
133.40
2
203.60


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) 1
38.00
1
80.28
1
144.18
1
262.46
2005年1月25日-30日 2005年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(トリノ) - 3
69.97
7
126.50
4
196.47


2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権(ドルトムント) 3 6 4 4
2004年2月2日-8日 2004年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ブダペスト) 4 12 5 6
2003年11月20日-23日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) - 6
62.00
3
136.01
5
198.01


2002-2003 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2003年3月24日-30日 2003年世界フィギュアスケート選手権(ワシントンD.C.) 3 16 10 10
2003年1月20日-26日 2003年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(マルメ) - 6 5 5
2002年9月26日-29日 オンドレイネペラメモリアル(ブラチスラヴァ) - 1 1 1


2001-2002 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2002年3月16日-24日 2002年世界フィギュアスケート選手権(長野) 6 18 17 18
2002年2月9日-21日 ソルトレイクシティオリンピック(ソルトレイクシティ) - 16 16 15
2002年1月14日-19日 2002年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ローザンヌ) 4 6 4 4
2001年11月14日-18日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) - 7 5 6
2001年10月5日-7日 フィンランディア杯(ヘルシンキ) - 14 10 11


2000-2001 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2001年2月26日-3月2日 2001年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ソフィア) 4 3 7 5
2001年1月22日-27日 2001年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ブラチスラヴァ) 5 7 9 9
2000年9月14日-17日 ISUジュニアグランプリ メキシコ杯(メキシコシティ) - 3 2 2
2000年8月23日-26日 ISUジュニアグランプリ サンジェルヴェ(サン・ジェルヴェ) - 7 9 9


1999-2000 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2000年3月5日-12日 2000年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(オーベルストドルフ) 9 8 11 10
1999年11月19日-21日 ISUジュニアグランプリ SBC杯(長野) - 3 3 3
1999年11月11日-14日 ISUジュニアグランプリ ピルエッテン(ハーマル) - 11 4 7


1998-1999 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1998年10月20日-25日 ISUジュニアグランプリ 中国(北京) 8 8 8
1998年8月19日-22日 ISUジュニアグランプリ サン・ジェルヴェ(サン・ジェルヴェ) 8 7 8

プログラム

シーズン SP FS EX
2009-2010[23] ウィリアム・テル
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ
ブエノスアイレスの秋
作曲:アストル・ピアソラ
-
2008-2009[24] サマータイム
作曲:ガーシュウィン
ブエノスアイレスの秋
作曲:アストル・ピアソラ
-
2007-2008[24] カルネ・クルーダ
by Nuevo Tango
ポエタ
作曲:ビセンテ・アミーゴ
振付:アントニオ・ナハロ
映画『ロミオとジュリエット』より
作曲:ニーノ・ロータ
Gimme Sexy Back
Father and Son
2006-2007[24] 映画『ブラッド・ダイヤモンド』より
作曲:ジェームズ・ニュートン・ハワード
Geissel Drama
作曲:クリスティーネ・ラウテンブルグ
ポエタ
作曲:ビセンテ・アミーゴ
振付:アントニオ・ナハロ
四季
作曲:アントニオ・ヴィヴァルディ
振付:Salome Guadarrama
ステイン・アライブ
by ビージーズ
ニュー・シューズ
by Paolo Nutini
フィックス・ユー
by コールドプレイ
2005-2006[24][25] ドラリオン[26]
シルク・ドゥ・ソレイユより
映画『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』より
四季
作曲:アントニオ・ヴィヴァルディ
振付:Salome Guadarrama
フィックス・ユー
by コールドプレイ
振付:サロメ・ブルナー
If I hadn't got you
by Lisa Stansfield
ユア・ビューティフル
ボーカル:ジェームス・ブラント
I don't wanna be
by Gavin DeGraw
2004-2005[24] スパニッシュ・キャラバン
by ジョージ・ウィンストン
映画『キング・アーサー』より
作曲:ハンス・ジマー
映画『トゥルーマン・ショー』より
Oceania
ボーカル:ビョーク
ビリー・ジーン
ボーカル:マイケル・ジャクソン
Killer
by Seal
歌劇『トスカ』より
作曲:ジャコモ・プッチーニ
2003-2004[24] I'm a-doun for lack o' Johnnie
by ヴァネッサ・メイ
ジプシーダンス
Zabuca
by Johannes Linstead
Loving Paris
by David Visan
Take the Long Way Home
by スーパートランプ

脚注

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  1. ^ a b c 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009男子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.62
  2. ^ a b 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.100
  3. ^ a b c 斎藤貴子編『COLORS フィギュアスケート男子シングルフォトブック』あおば出版、2006年2月、p.46
  4. ^ a b 『COLORS』p.43
  5. ^ a b 小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、pp.20-21
  6. ^ a b c 『COLORS』p.45
  7. ^ Swisscom、Hublotなど、国外ではFordofficia site-sponsers
  8. ^ COLLECTION DE MONTRES STÉPHANE LAMBIEL
  9. ^ a b マティアス・フォアドボ、佐藤夕美「ランビエール惜しくも3位」『swissinfo.ch』2007年3月22日更新、2009年4月16日閲覧
  10. ^ a b c 『COLORS 2007』p.21
  11. ^ 「ランビエールがけがで引退表明」『swissinfo.ch』、2008年10月16日更新、2009年4月16日閲覧
  12. ^ [1]『Der Bund』2007年8月9日16面
  13. ^ ステファン・ランビエールと荒川静香、対談で「共演」『swissinfo.ch』、2009年2月10日更新
  14. ^ 里信邦子「ランビエール、世界選手権を目前に抱負を語る」『swissinfo.ch』、2008年3月13日更新、2009年4月16日閲覧「今や厳格な技術に重点をおいた点数制となってしまったことに対して疑問を抱く。」
  15. ^ [2]『NZZ online』2008年3月15日更新「4回転ジャンプの基礎点が低い」「自分の使っている音楽を全く理解せず、ただ要素をこなしているスケーターが大勢います。…しかし審査員達はしばしば細部だけを見て、本来何が大切なのかは分かっていません。」
  16. ^ a b 「ランビエール大会3連覇に向け意気込みを語る」『AFp BB news』、2007年3月19日更新、2009年4月16閲覧
  17. ^ a b 斎藤貴子編『フィギュアスケート07-08シーズンフラッシュバック』実業之日本社、2008年3月、p.43
  18. ^ 『男子シングル読本』p.61
  19. ^ 『ワールド・フィギュアスケート 35』新書館、2008年12月、p.64
  20. ^ 『ワールド・フィギュアスケート 35』新書館、2008年12月、p.82
  21. ^ http://www.stephanelambiel.ch/upload/media/lambiel_pr_090725_en.pdf
  22. ^ http://www.isuresults.com/events/cat00006778.htm
  23. ^ http://www.isuresults.com/bios/isufs00003363.htm
  24. ^ a b c d e f 『男子シングル読本』p.64
  25. ^ 『COLORS 2007』p.19, p.21
  26. ^ トリノオリンピック直前に『ドラリオン』に変更。(『COLORS 2007』p.17)

外部リンク