グリニッジ子午線

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グリニッジ子午線の基準になっている、グリニッジ天文台旧本館の窓。窓の中央の線がグリニッジ子午線である。初代天文台長ジョン・フラムスチードがここで観測を行い観測結果を元にグリニッジ子午線が決定されたことから、この場所が基準になっている。

グリニッジ子午線(グリニッジしごせん)または本初子午線(ほんしょしごせん)とは旧王立グリニッジ天文台の跡地を通る子午線(経線)のことである。「本初」とは「最初」という意味であり、この子午線が経度の基準である経度0°0′0″と定められている。グリニッジ標準時を決める基準になっている[1]

歴史

そもそも、グリニッジ天文台は子午線を決定するための観測のために設置された。初代台長ジョン・フラムスティードはグリニッジ天文台で観測した厳密な恒星図を作り世界各地でグリニッジとの観測時間の差を測定すればグリニッジ天文台との経度差が分かると考え、フラムスティード天球図譜という星図を製作した。この星図はその後、航海者によって広く使われた。

一方、他国もそれぞれの国の天文台を基点とした星図を作った。しかし1750年代、イギリスが世界的な海運国になると星図もフラムスティードのものが全ヨーロッパ的に使われることが多くなった。

その後、鉄道網が整備されると国際列車の運行の際に全世界的に標準的な時刻と子午線が必要とされはじめた。

1850年アメリカ合衆国はグリニッジ子午線を基準に採用した。アメリカは領土が東西に長く広い鉄道網を持っていたため、国内で統一した子午線を使うことが必要とされていた。

一方1875年、国際地理学会はカナリア諸島フェルロを基点とする子午線を基礎子午線とすることを決議した。全世界的に採用するには特定国の首都などは避けたほうがいいという主張を受け入れたものだが、実際にはカナリア諸島を基点とするとパリを基準にするのとほぼ同じ意味になる(経度差がちょうど15度のため)という理由であった。しかし、この基礎子午線はフランス以外の国には非常に不評だった。

1881年に再度開かれた国際地理学会では、カナリア諸島は基点としては不適で重要な観測拠点となりうる天文台を基点とするべきだという主張が行われた。

1884年10月13日、アメリカ合衆国の提案で国際子午線会議がワシントンD.C.で開かれた。日本からは菊池大麓が参加した。フランスは中立国を基点とするよう主張したがフランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられなかった。投票の結果、グリニッジ天文台を基点とする案が採用されグリニッジ子午線は国際的な本初子午線となった。

日本では、江戸時代以前には暦の計算や測量などには京都にあった改暦所という役所を通る子午線を基準(本初子午線)としていた。1871年に日本の本初子午線は東京を通る子午線に移された。1886年7月13日の勅令「本初子午線經度計算方及標準時ノ件」で、グリニッジ子午線を本初子午線として採用することが定められた。

フランスは1911年3月9日にグリニッジ子午線を採用した。

脚注

  1. ^ GPSなどで用いられているWGS84測地系で使用されている子午線は天文台から102.5m東にずれている。WGS84測地系では、GPS時刻を基にした測地系を元にしている。これらの計算において当初GPSの時刻の精度を安定できなかったため、計算によって求められた測地系では位置がずれることになった。