アーサー (コノート公)

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コノート公アーサー・ウィリアム・パトリック・アルバート

アーサー・ウィリアム・パトリック・アルバートThe Prince Arthur, Duke of Connaught and Strathearn、全名:Arthur William Patrick Albert1850年5月1日 - 1942年1月16日)は、イギリスの王族。ヴィクトリア女王の三男でコノート公。次兄エディンバラ公アルフレッドとは対照的に陸軍の道に進んだ。1911年から1916年までカナダ総督を務めた。

1890年(明治23年)、1906年(明治39年)、1918年(大正7年)の3回来日している。1890年の来日では上村松園の「四季美人図」を買い上げて話題となった。日本では「コンノート殿下」として知られている。

家族

1879年、アーサーはプロイセン王族(フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の曾孫)のルイーゼ・マルガレーテと結婚した。

長女マーガレット1882年 - 1920年)はスウェーデン王太子(後のグスタヴ6世アドルフ)と結婚したが王妃になる前に薨去、その後グスタヴ6世アドルフは彼女の従姉ヘッセン大公女ヴィクトリアの次女ルイーズと結婚。マーガレットはデンマーク女王マルグレーテ2世スウェーデン国王カール16世グスタフの祖母にあたる。

長男アーサー・パトリック(1883年1月13日 - 1938年9月12日)は、伯父エドワード7世の孫娘であるファイフ公爵の娘(のち第2代ファイフ公爵となる)アレクサンドラ・ダフと結婚。2人の息子アラステア・アーサー(1914年8月9日 - 1943年4月26日)が祖父の跡を継いでコノート公となったが、子供を得ないまま死去し、コノート公家は断絶した。

次女パトリシア(1886年 - 1974年)は姉同様美人の誉れが高く、ポルトガルのブラガンサ公ルイス・マヌエル2世兄弟やスペインアルフォンソ13世ロシア皇帝ニコライ2世の弟ミハイル大公の妃候補であったが、父の部下アレクサンダー・ラムジーと結婚した。